設立趣意書

「失われた10年」という言葉が、時に日本では使われます。いつ、何が失われたかはケースバイケースなのでしょう。

研究所の活動内容

サステナビリティを基軸にして、経営の視点から、国内外の様々な組織体の、主として環境経営、CSR経営のベストプラクティスを…

過去の経歴と仕事

代表・多田博之 プロフィール 職歴 1986年ソニー株式会社入社 コンポーネント営業本部営業推進部に配属…

ステークホルダーの声

サステイナブル経営総合研究所の設立にあたり、ステークホルダーの方々から寄せられたメッセージを紹介します。

サステイナブル経営総合研究所 ブログ

年賀状考

昨年の暮れに、一通のこんな葉書が、ある会社から舞い込みました。
「SDGsのため、来年から年賀状の送付を廃止させて頂きます。」

これを読んだとき、私は何とも言えない違和感を覚えました。
人によって出す出さないは全くの自由ですが、年賀状は日本の一つの文化です。
昨今の日本の風潮を見ていると、何でもSDGsに結び付けてしまうように思えてなりません。
これは、いわゆるSDGsウオッシュ(似非SDGs)の典型ではないでしょうか。
正直に、コスト削減のためと言えばいいのにと感じてしまいました。

ところで、みなさんは、国民の86%が「SDGsを知っている」という国を知っていますか。
これはある広告会社のリサーチ結果によるものです。
フィンランド? スウェーデン? デンマーク? ドイツ? フランス?
様々なSDGs(環境)先進国が思い浮かぶかと思います。
けれども、どれも不正解です。
正解は、わが国日本!なのです。
人口1億人を越える国で、これは驚異的な認知度と言えるでしょう。

ところで一方、国連関係機関によるSDGs進捗国別ランキングというものがあります。
認知度世界1の日本の順位を想像できますか?

実は日本は総合18位に呻吟しているのが最新の2024年の調査結果です。
2016年の初回調査以来、毎年じりじりと順位を落とし続け、それでも前年2023年の
21位から、ランクが3つ程上がって、この位置にいるのです。

順位の元となる評価の詳細は敢えてここでは記しません。
しかし、認知度と進捗度とのこのギャップを、みなさんはどう考えるでしょうか。

SDGsの本質は2つ。

「誰ひとり、とり残さないこと。= Noone left behind. 」
「大胆な大変革を起こすこと。=Transformation 」

残念ながら、日本では、この本質が理解されていないか実践されていないと
私は思うのです。些細な小手先だけの行為をすべてSDGsとつなげて、
それで自己満足してしまって、終わりにしている。そんな事例が多過ぎます。

社会の格差は拡がるばかりで、SNSによる誹謗中傷も後を絶たず、先日も
痛ましい事故がありました。
行政にしても企業にしても、「大変革」という名前に価する改革を未だ
見たことがありません。

このままでは、日本はますますSDGs(環境)後進国となって、世界から
置いてきぼりをくってしまう、もったいないなあ、そんな風に思わせる、
一通のお便りでした。

多田博之

リサーチフェローのUK滞在記

リーズ日記その5

もう既に日本での生活もリーズから帰国してから5ヶ月目を迎え、夏も終わりに向かっている頃にこのブログを執筆しています。最後にブログを掲載してから半年以上が経ち、私にとっては人生にとって、大変な時間を過ごしていました。

<ブログ掲載を中断していた理由について>
1月のテスト期間中にブログを書いていた頃は元気で体調管理も上手くいっていました。さらに無事に全ての課題を提出しました。しかし私の望んでいた成績の結果が得られず、少し落ち込んでしまったことはそこまで大きな影響を与えなかったのですが、寮での環境が合わなかったことが私の精神的な体調面に深く影響を与えました。

正直に、留学をした1人として生活環境についてお話をします。寮では知らない人と生活を共にします。そして全員それぞれが多文化・多国籍の中でお互いに気を遣いながら生活をします。それでも文化の違いだったり、人と生活スタイルが合わなかったりと様々な相違が生まれます。その中で私は普段日本にいると気を遣わないような気を四六時中張り続け、最終的に寮の人との仲違いに発展してしまいました。

少し詳しく説明すると、サイレントタイムという制度があり、夜の11時から朝の7時までは静かにするというルールがあるのですが、それがなかなかフラットメートに伝わらず、寝たいタイミングで寝れなかったり、夜中騒いでて起きたりも多くありました。毎日騒がれるのではないかという恐怖とストレスは莫大なものでした。

そうこうしているうちに音が過敏に聞こえる症状が2月から始まり、その症状による不眠も始まってきました。寮の中にいるとドアの閉まる音が恐怖に感じ、夜中少し廊下で話しているだけでも目が覚めたりしました。不眠と過敏が重なりながらも、学校には通い続けましたが、過敏さは増していく一方でした。病院にかかるのも、イギリスでは医療が崩壊しており、3ヶ月後のアポイントメントといった環境でした。教授に相談したところ、2学期までは治療を母国で受けるにしてもイギリスにいた方がいいと言われ、私もその通りだと思ったので、大きなグループプレゼンテーションが終わるまで必死に授業に出席しました。そして無事にプレゼンテーションを終えて、4月の初めに日本に帰国をしました。

それからは課題をやりながら、日本で過敏さが治せる先生を探しました。しかし課題で追われる中で病院を探すことは困難を極め、1年遅らせることに決定しました。医者とも話し、まずは治療に専念し、休むこと。そこでよくなればまた活動を再開すれば良いという話でした。

<日本に帰国してからやっていることについて>
私は日々の体調管理が1番大事だと思い、ジムで体を鍛え代謝を増加させること、またヨガやサウナで自律神経や体の調子を整えることに集中しました。また地域のランニングクラブに入り、できるだけコミュニティの活動にも幅を広げました。そして、5月に休学をし、ゆっくり休んだあと、6月23日から就職活動を始めました。そのタイミングで過敏さも少し和らぎ、今までと比べて体調もましになりました。

就職活動を少しお話しますと、東京ビッグサイトで行われた東京キャリアフォーラムに参加したり、様々なサステナビリティ関連のイベントにも顔を出しました。その中でNPO法人の環境・持続社会研究センターのJACSES、またドイツ企業の日本法人であるシュナイダーエレクトリックのマーケティング課でインターンを開始しました。

大学院での授業はまた来年の1月から8月にかけて行われます。また学んだ内容などを掲載していきます。

今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

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